第三章・表/12
新しく出現した“魔”だろうか、それとも、ハルファスの指示でここに来た“魔”であろうか。
そんな疑問は光琉の中に浮かんではこなかった。何故だか解らないが、彼は脳内で甲高く鳴っている音を引き起こしている正体を察していたのだ。
公園で感じたヤツだ。ハルファスと対峙している中、公園で感じたアイツだ。あの時感じた耳鳴りと全く同一だった。
彼自身、何故そんな事が解るのか検討も付かないが、とにかく断言できた。
今、“共鳴”している相手は決して新しく沸いて出た“魔”ではなく、公園でのハルファスとの戦闘中から感じていた“魔”のものだと、本能で断然ができた。
度重なる“魔”との遭遇で、光琉の感覚が研磨されて、より敏感に、
より詳細に相手からの“共鳴”を理解できるようになったのかもしれないが、自分がどんどん人間離れしていくような感覚は付き纏って離れなかった。
だが、“共鳴”がより明確に感じ取れるようになった理由などはこの際どうでも良かった。それよりも、相手の目的の方が重要だったのだ。
ハルファスの一派ではない。偶然通りかかった“魔”かとも思えるが、どうやら、ソイツは今もこちらを尾行しているようだった。
何故か。単純な好奇心で探りを入れてきているのだろうか、それとも、最初からこちらに関心があって、ついてきているのか。
どちらなのだろうか。解らない。が、コイツはずっと付き纏っていたのだ。戦闘中も、戦闘後も、今も。
単に光琉自身が目の前の事態にのみ注意を向けていて、今までソイツが近くに居たという事を気付かなかっただけに過ぎないのだ。
“魔”の存在を至近に確認・・いや、再確認して、直後こそ取り乱したが、徐々に冷静さを取り戻せてきた。
そして、よくよく考えてみれば、相手がどんな考えで後についてきているか知らないが、襲ってくる気だけはないように思われる。
その意思があるのなら、既にやっているだろう。こっちは気絶したままの綾子を含め、素人に過ぎない3人なのだ。
戦いに参加できないお荷物を抱え、戦意など欠片も沸き起こせない状態なのだ。
敵が犬だとかいった獣型の“魔”であろうと、追い払う事もできない。背を向けて一目散に逃げ出すしかない状況にいるのだ。
それにも関わらず、相手は仕掛けてこないのだから、戦う気は無いと見ていいのではないか。
と、考えた矢先、相手に動きがあった。
耳鳴りの音では相手の正確な距離と方角は解らなかったが、“魔”は光琉たちの視界の中にずっといたのだ。
数mほどしか離れていない電柱の影から人影がゆっくりと出てくる。
光琉や季夕よりも小さな人影は、小柄な小矢よりも更に一回りほども小さなものであった。
影を見る限り、殆ど小学生か中学生程度にしか思えない。
意識して忍ばせているわけではなさそうだが、足音さえも聞こえない足取りで暗がりの中から街灯の下にまで動き、ようやく姿形が光琉の目にもはっきりと見えた。
照明の下に現れた人影は、輪郭こそ光加減で朧だったが、見た瞬間に光琉は我が目を疑った。
ソレが“魔”だとは思えなかったのだ、いや、人間だとも・・・
視界に映った姿が想像を絶する化物であったからではない。その逆だからこそ、光琉は自分の見たものを一瞬疑ったのだった。
少女。まだ年端もいってないただの少女だ。少なくとも見た目は。ただし、少女そのものの体格とは裏腹に、雰囲気は尋常ではなかった。
テレビで見る京都の芸者のように、やけに高級そうな着物を隙無く着込み、微塵の違和感も感じさせない。
まだ小学生高学年から中学生程度に思える身長の子供が、である。
艶やかに光る黒髪は肩口の辺りで綺麗に切り揃えられており、凛とした雰囲気を醸し出している。
それだけ見れば、すました子供のようにも思われるが、それにさえ違和感無く、表情の中にも、
なり格好の中にも凛とした清涼な気配が溶け込んでいて、全くの自然であった。
真夏にも関わらず、着物から僅かに出て、外気に触れている少女の肌は、まるで冬の到来を知らせて天から降って来た新雪の粉雪のように白く、
街灯の安っぽい光を浴び、それ自体が仄かに発光しているのでは、と思えるほどにただ白い・・・
化粧一つしていないようだが、唇は桜などの色の薄い花弁を染料として使った紅を塗っているように淡く色づき、
未成熟な肢体の中に色気めかしいものも漂っていた。さながら魔性の色気とでも言うのだろうか。それとも、気品というやつだろうか。
実際に、目に見える少女の姿は魔性そのものであった。一瞬、国宝級の伝統を持つ日本人形が大きさを変えて現れたと見間違うばかりに。
荘厳であり、神聖ささえ感じられた。ある種、冒してはいけない神聖不可侵なものを。
これが・・・“魔”なのか・・・? 公園から今まで、俺たちを尾行してきたヤツなのか・・・?
と、光琉は相手を見ながら疑った。化物と呼ぶには、あまりにも浮世離れしすぎた空気を纏っていた。
ある意味、これこそが“魔”であると言うなら、これ以上の“魔”はいないだろうとさえ思える。
目鼻の位置や顔の形を気にする人間の美観など、小さな事と鼻で笑い飛ばす魔性だ。
「待て。私に敵対する意思は無い。話をしに来ただけだ」
視覚から得られたヴィジョンに衝撃に近いものを受けて脱力した光琉とは異なり、
一目でソレと解る異端に臨戦態勢になっていた季夕に向かい、少女はひっそりと、澄んだ言葉を投げかけた。
声一つとっても、実に音楽的なものである。口調は女らしさというものと無縁であったが、声音は少女特有の高音。
声帯を震わせて出る声一つ一つが琴から流れ出る音符のようだ。美声と言うしかない。
気を抜けば、思わず聞き入ってしまいそうにもなる音律的な声音の持ち主に、季夕は怪訝な顔を浮かばせた。
つい先ほど、目の前で“魔”によって幼馴染であり親友の少女をさらわれたばかりなのだ。敵意は持っていないと言われて、そうかとすぐに納得できる筈も無かった。
季夕の体から依然力は抜けていない。どんな事があっても即応できる体勢のままであったが、少女の目にはどう見えているだろうか。
余分な力が入りすぎて、体が硬くなっている。本人は臨戦態勢のつもりかもしれないが、あれでは迅速な対応などできはしない。ずぶの素人が。
と、季夕の反応に率直な感想を抱いているのかもしれないが、静かな表情からは何も見出せない。
ただ、季夕が警戒心を解いていないので、必要以上に近寄って相手の警戒を強める真似はしないでいた。
「・・・・・話っていうのは、なんだ?」
光琉にしても、初対面の相手を無条件に信用できる訳もなく、一応警戒だけはしていた。
季夕と同じく、“魔”に家族とも言える幼馴染をさらわれた直後なのだ。忘れるほどの時間も経過していない。
だからと言って、敵でもなければ、味方でもない相手を邪険にし、自分から進んで関係を悪化させる事もないだろう。
相手は無防備に自分の姿を晒したのだ、無論、罠である可能性も考えられるが、直感のようなものが相手が敵意や悪意を持っていないのは感じ取れた。
とにかくも、話を聞くくらいはしても良いだろうと思えたのだ。
綾子を自宅に送り届け、小矢の居場所を探したい焦りはあったが、気持ちばかり急いていてもどうにもならないのである。
話を聞くだけならば、大した時間も手間もかからないだろうし、何より、目の前の相手がどんな話を持ちかけるか純粋に興味もあった。
もしかすれば、この“魔”が、何か有益な情報を持っているかもしれないと、そんな幸運も期待している事もしていたのだ。
「聞いてやる。聞いてやるから話してみな」
「・・・せっかちだな。
迂遠な言い回しは苦手か? 腹の探り合いは嫌いか?」
「・・・今はそんな気分じゃないし、はっきりいって、回りくどいのは嫌いだ。
言いたい事があるのなら単刀直入に願いたいものだ。
それに、話があるから来たんだろう、用件だけを簡潔に言え。不必要な会話はしたくないし、聞きたくもない」
相手からの返答の真意を掴めず、眉を顰めながら答えた光琉に、年若い少女はおよそ外見とは不釣合いなほど人格的厚みのある笑い方を薄い唇に閃かせる。
嘲笑めいた陰湿さは全くと言っていいほど感じられない微笑。それどころか、光琉の遠慮の無いズケズケした物言いに好意に近いものを抱いたような印象すらあった。
「ふ・・ん。言いたい事を言う者だな。
まぁ、いい。私も無駄話をしに来たのではないからな」
唇の片端だけで作った薄い微笑を収め、少女は一呼吸置いて光琉に向き直った。
彼の傍では季夕が少女に向かって疑わしげで、かつ、警戒心で凝り固まった眼差しを送っていたが、少女の方は一顧だにしていなかった。
光琉の傍らに身を寄せる季夕の存在など、全く眼に入っていないかの如く、完全に無視してのけている。
「異国の“魔”に連れ去られたお前達の知人を助ける協力・・・必要か?」
さて、どんな話が聞けるものやら、と、待ち構えていた光琉だったが、少女の淡く色づく口から滑らかに滑り落とされた言葉は、彼を面食らわせた。
彼女の話はあまりに突然であり、意表をついて、光琉の頭も、そして季夕の頭をも一瞬空白にさせた。
余計な説明を完全に省いて、要点だけの言葉だったからこそ、逆に理解するだけの時間を必要としたようだった。
何を言われたのか、咄嗟に判断できない。頭の中が猫だましを食らった猫の状態になっている。
つまり、驚いて、他には考えられない、だ。
耳が聴いた言葉を頭の中で数回反芻させてから、ようやく理解した。
・・・・理解した事にはした、が、逆に謎が深まってしまった。
協力する・・・・だと?
何の為にそんな申し出をする必要があるのだろうか。
どうやら、相手はこちらの事情を大体は飲み込んで、その上での話だろうが、それにしたって、相手がこちらに協力する意図が読み切れない。
そんな事をして、何らの利益が向こうにある訳でもなかろうに・・・
と、当然のように光琉は向こうの動向を勘繰った。
長年の付き合い同士ならまだしも、初対面の相手に損得勘定無しで、純粋な奉仕の心で協力を申し出る事は考えられない。通俗化した一般論であり、常識だった。
一体、何を考えての申し出なのか、それをはっきりさせない事には容易に結論など出せはしない。
「・・・・何の目的があるんだよ。
まさか、さっきの公園での戦いを見て、俺たちがあまりに不甲斐なくて情けないから、同情心でも揺さぶられたのか?
ハッ・・・まさかな。何か考えがあるはずだ。無償で奉仕するのが趣味でもない限り」
表情と仕草をつぶさに観察してくる鋭い光琉の目を受け、着物姿の少女は超然とした態度を保ち続けている。
神秘性さえ匂わせている少女の顔は、眉一つ動くでもなく、無限の煌きと深さを封じているような黒い宝石の如き黒瞳を向けていた。
「利益なくして人は動かない・・・私は人間ではないが、当然の事だ。
計算や打算があって、この申し出をしている。
率直に言うところ、異国からの“魔”・・・ハルファスを葬ろうなどとは思っていない。
奴の手の内にあるお前達の友人の救出は、私にとって二の次でしかない
私の望みはソレとは別にある」
やっぱりな、と、光琉は胸中で呟いた。何の見返りもなく、ただただ相手の為に何かしたいなどと考えるヤツなんて何処にもいない。
そんなヤツは聖人の域に到達している善人か、余程の馬鹿か、そのどちらでもなければ相手と親しい一握りの者である。
だが、だとすれば何を求めているのだろうか。小矢に義理や恩があるわけでもなく、彼女と親しい間柄でも当然無い。
ハルファスに対する遺恨とかでも無ければ、一体、相手の目的はどこにあるのか。それがさっぱり掴めない。
答えを待つ光琉と季夕に対し、少女は桜の花弁のような唇を動かし、次の言葉を音楽的に紡いだ。
「ハルファスの噂は色々と伝わってきている。無論、悪い噂がな。だが、少なくとも奴はこの国内において、目立った事はしてない。
それこそ行儀良くしている。奴の仲間も然り。奴が自分の土地で何をやろうと、私の知った事ではない。この国の中で問題を起こさない限りは、な。
それに奴はいずれ日本から出て行き、自分の国に戻る。例え、本性が狂犬だろうと、放って置けば自分の縄張りに帰る犬コロに手を出す必要はない。
・・・・だが」
一呼吸つく。区切りを入れ、唇の動きを止めた。
今まで淡々と語ってきた少女の両目が僅かながら剣呑な光を帯びる。
「だが、奴が国内でやろうとしている事は別だ。
私達はソレを黙って見逃す事など出来ん」
静かな物言いだったが、言葉の端々からは怒りめいたものの余熱と、口調の底から滲み出る感情の激しさを感じられた。
初めて人形的な少女から生き物らしい熱っぽいものを感じた気分であった。
そして、同時に、人形細工を思わせる少女が感情の火を灯す会話の内容に興味も抱いた。
だいたい、少女の言っている話は、小矢に繋がっているのだ。
わざわざ思い出すまでも無く、つい先ほどの事なので脳裏にむざむざと記憶されているシェミハウルとハルファスの間で行われた会話の中で、
“呪い憑き”という単語があった。会話の流れから、小矢がそれに関わりを持っているようなのは匂わせていたが、きっちりと説明を聞かされなければ解らない事がありすぎる。
ハルファスの目的は光琉の思いやるような事ではなく、気にもならないが、小矢が関わる件は別だ。
ハルファスの目的であるらしい“呪い憑き”。それにどう自分の幼馴染が関係してくるのか、少女から聞けるに違いないと踏んでいた。
「詳しく話を聞こう。あと、こちらの質問にも全て答えてくれ。
・・・返答はその後でいいか?」
「うむ、構わん。元よりそのつもりだ。
相手の信頼を得るには、こちらの内側を見せるしかない。
何も言わずにお前達の信頼を得ようとは思わんよ」
光琉の要求は快諾された。
この返答は気持ちのいいものだ。シェミハウルに対するよりもずっと好感が持て、評価できる。
これだけで、光琉の内心で、一時の協力体制にあったシェミハウルより、名前も聞かされていない謎めいた少女の方が価値が高くなった。
「ハルファスとか言うヤツの目的は・・・“呪い憑き”ってヤツか?」
確認の為聞き、少女は小さく頷いた。
「そう。ハルファスの目的は忌まわしい“呪い憑き”。“Ascalon(アスカロン)”に飼われる猟犬・・・朔夜」
ごみための中の、汚物を覗き込んで感想を言うような口調であった。
何処までも心底忌々しいと思っているに違いない。名前と思われる朔夜の一言は、呪詛や憤怒を言うに近い声音で吐き捨てられた。
「・・・ソイツに小矢がどう関係してくるのか聞きたい」
「彼女自身、“呪い憑き”に直接関係は無い。彼女に流れる血が関係するのだ」
得られた返答に、光琉は思わず眉を顰めた。隣にいる季夕も似たような表情になっている。
いまいち、言っている事の意味が理解できないでいるのだ。
より詳細な説明が着物姿の少女からなされた。
「昔話になるが、要点だけを掻い摘んで言うと、彼女の家系は元々退魔を生業にしている家柄。日本でも有数の名家と呼べるほどのな。
そして、その血筋を辿れば、遥か昔、数百年以上も前の時代に生まれた退魔師に辿り付く。その者は凄まじい術者であったと伝え聞いている。
陽の側で並外れた力を持った人間が現れたのと同じくして、陰の側・・・つまり“魔”の側でも恐るべき力を持った存在が出現した。
千の獣と百の鬼を従える鬼の王。その時代に人の世の毒となった“魔”・・・・
陽と陰は表裏一体。光と影。物事と表と裏。陰と陽に現れた二者はその法則に乗っ取ったものかもしれんな」
一旦、長い言葉をここで区切り、少女は一呼吸置いた。
「この地方を縄張りにし、一帯を荒らしていた鬼王討伐の命を、退魔師は受けた。
2人の戦いは熾烈を極めたと聞く。実際にどうであったか知るところではないが・・・
結果として、勝利したのは人間の側だが、代償に退魔師の命が失われた。
鬼王の力が巨大なものであった為、完全に討ち取ることはできないと読んだ退魔師が自らの身を食わせ、鬼王を呪ったのだ。
永劫に。その悪夢のような力が発揮できないよう。そして、鬼王の血統が後の世の禍根とならず、途絶えるように、な。
鬼王の血を、自らの血で呪いかけた。
命をかけた呪いによって、鬼王の力は奪い去られ、寿命も削り取られ、通常の“魔”の半分も生きられない身体にした。
だが・・・鬼王の血を引くモノは、未だ未練がましく、現世にしがみつく魍魎のようにこの世界に存在している。
それが“呪い憑き”の朔夜。
呪われた鬼王の血。その自らの血の呪いを解く方法を、あのモノは執念深く探っている。
此花 小矢は、朔夜の体内を巡る鬼王の血に呪いをかけた退魔師の子孫。
呪いを解く方法が、もし、あるとすればだが、直系の子孫である彼女が知っていると考えるのが妥当だろうな」
それでか、と、光琉は頷いた。
シェミハウルとハルファスの会話を思い出して、今、少女から聞かされた事と照らし合わせれば、小矢がさらわれた訳も理解できた。
ハルファスは“呪い憑き”である朔夜を自分たちの組織に引き入れようとしている。が、相手が了解しない。
だから、朔夜の欲している呪いを解く方法・・・それを知っている可能性のある唯一の人間、小矢をさらい、取引に使うつもりでいるのだ。
手下になれば退魔師の子孫である小矢をくれてやる、と、そう脅して。
小矢がさらわれた理由は理解できたが、もう一つ、解らない事があった。それとは別に、今聞かされた話の中で不可解な点も気になる。
解らない一つの事は、着物姿の少女が“呪い憑き”朔夜に何故執着を見せるかと言う事。
気になる点は、その“呪い憑き”が、以前聞き覚えのある組織に所属していると言う事だ。
・・・・“Ascalon(アスカロン)”。シェミハウルのいる組織の名がそうだったように記憶している。
“呪い憑き”を、少女は“Ascalon(アスカロン)”に飼われる犬と言った。朔夜は“Ascalon(アスカロン)”のメンバーと言う事になるのだろうが、何故だ。
どうして、“魔”である朔夜と、“魔”を討伐する組織である“Ascalon(アスカロン)”が結び付くのか、合点がいかない。
「ハルファスが小矢を連れ去った理由は理解出来た。でも・・・まだ解らない事が残っている。
小矢をさらったハルファスには、直接的な恨みも無いと言ったアンタが、どうして俺たちの手助けなんかを申し出るんだ?」
「ああ。私はハルファスがどうなろうと、何をしようと知った事ではない。
他人の縄張りの中で勝手を働くのと、“呪い憑き”を除けば、な」
どうやら、“呪い憑き”の朔夜というモノにかなりご熱心のようである。
何がそこまで駆り立てるのか、光琉が問うまでも無かった。
少女は静かにその理由を話し始めたのである。
「呪われ、自らが生きるだけの力を失った鬼王が僅かでも生き延びる術は、外から生きる力を取り込む事・・・・
つまり、同種である同じ“魔”の生血を啜って寿命を延ばすしかなくなり、呪いをかけられた鬼王は同族に対して牙を向けた。
“魔”の世界で同族殺しは最大の禁忌。
同胞の生血を求める鬼王の眷属は、当然、他の“魔”から疎まれ、忌まわしがられ、忌避される事になった。
呪いの効果で、命をやすりで削り落とされ、延命の為に同族すら手にかけるようになった鬼王が、自らの血を絶やさない為には、同じ血族・・・
人間でいう家族と契りを結び、子を残すしかなくなったのだ。
そして、血族同士で産み落とされた異端の子、忌むべき同族殺しの血は今も朔夜の中に脈動している。
しかも、奴は、我々の報復を恐れ、事もあろうに我々の敵対する組織“Ascalon(アスカロン)”に自分の身を売ったのだ。
自分と、妹の安全を引き換えに、朔夜は畜生にも劣る同族殺しを人間に命じられて遂行するゲスに。
朔夜の妹は、朔夜の子を宿し、次の世代に忌まわしい毒草の種を伝える存在となる。
我等としては、朔夜か、或いは、妹のどちらかを葬り去り、後世に同族殺しの血が残る事無く、完全に抹消したいと考えている。
だが、人間の手によって保護されている奴らに手を出すのは困難を極め、何より、人間に対して危害を加えないと言う自らに課した掟に背く事にもなる」
一旦、少女は目線を下に這わせた。
落胆に近い表情を浮かべ、スッと短い呼吸を吐き出す。
「・・・そこに来て今回の件だ。
我等はそれとなく、退魔師直系の血を引く此花 小矢の身辺にいた。“呪い憑き”は彼女の事を全く知らないが、何時、気付くか気がかりだったのでな。
朔夜から呪いの足枷が外され、自由の身になる・・・・同族殺しの大罪人が。
呪いを受けた血が後の世に残らずとも、それでは、同族殺しの大罪人の血が残る。私はそれを阻止したい。
その為に、友人をハルファスの手から取り戻したいと願うお前達を助けてやろうか、と、私は言っているのだ」
なるほど、合点がいった。光琉は少女の話を聞いて頷いた。手助けを申し出ると言うのも、少しは納得できる。
少女にしてみれば、小矢の救出はついでなのだ。自分の目的のついでで、光琉たちに手を貸してやろうと言っているのだ。
だが、だからといって差し出された手をホイホイと気軽に掴む訳にもいかない。
相手の目的が知れたとはいえ、それが真実であるのか、また、本当にこの少女が信用に値するかどうか、未知数なのだから。
光琉自身から言えば、彼女の申し出はありがたく、彼女を信じてもいいような気がしている。
理論的な説明は不可能だが、直感めいたもので、相手が嘘を言っていないと思えたのだ。
問題は、やはり季夕である。
協力体制にあったシェミハウルが人質の命も顧みない人間だと判明し、ハルファスにも親友をさらわれた直後なのだ。
そう簡単に見知らぬ相手の申し出に乗る事は今は無理だろう。
少女からの話を聞いても、半信半疑の表情で、内心、快く思っていないのは明白であった。
ただ、彼女としても、まさか自分たちだけで幼馴染をハルファスの手から取り戻せるなどと楽観してもいないだろうから、頭を悩ませていえるに違いないと思われる。
「・・・・・・・」
「ヒカル・・・」
暫し、沈黙を漂わせ、季夕が光琉の服の袖を引っ張ってくる。
顎でおぶさられている綾子を指し、彼女を自宅に送るのを急かしてきた。
とりあえず、難しい問題は置いて、クラスメイトを家に送るという簡単な事を片付けようというのだ。
これは問題の先送りでしかなかったが、光琉は頷かざるえなかった。
正直、考える時間が欲しかった。
「暫く時間をくれないか。良く考えたい・・・」
「ああ、数日待つ。その間に良く熟考してくれ」
と、着物姿の奇妙な少女から返事を貰ったので、光琉は踵を返した。
彼女からの申し出は頭の隅に留め、綾子の家路を歩き出したのである。
光琉の足が不意に立ち止まったのは数歩も歩かないうちだった。
何かを思い出したようにその場に立ち止まった光琉は、俯き加減でアスファルトを見ていた目線を跳ね上げると、首を捻り、少女へと今一度眼を向かせた。
「・・・最後に一つ。
・・・・・どうして、俺に・・・」
言葉にしてとても弱々しい口調で呟き落とされた質問は、意味も真意も甚だ欠落していたと言えよう。
一体、何に対して、なのか、何を、なのか、内容を説明する文字群を含ませない質問。
質問の形を借りた確認であったかもしれないにしても、余りに言葉が足りなかった。
言葉の曖昧さは、光琉自身の胸中にある疑念、疑惑、思考、情報、それらが魔女の大釜の中で茹でられている状態で、
整然の正反対の心境の中から煮えたぎる混沌の表層面だけを掬い取って口にしたからかもしれない。
結局、彼も何を聞きたいのか良く解っていないに違いない。
現状と少女から聞かされた説明を整理し、自分の内に取り込むので手一杯で、得られた情報を完全に消化吸収しきっていない状態なのだ。
発言者自身、自らの真意を把握しきれていないのに、聞く側がソレを理解できる筈も無かった。
それなのに、少女の幼くも端麗な顔に表れたのは、他でもない微笑であった。
「お前の事はこれでも結構知っている。詳しいのさ、それなりにな。
それでもお互いに初対面には違いないが」
微かだが確かな微笑が少女の唇を掠めるように去っていった。
ほんの数瞬ほどしか見せない微笑み。だが、それでも陰湿なものなど微塵もなかったように思われ、逆に、不思議な清涼ささえ感じられたほどだった。
魅せられてしまうには充分な少女の微笑に、言われた意味深な台詞に対する疑念も一時忘れた光琉の前で、謎かけを残した少女は背中を向けた。
今からでも呼び戻す事は可能だったが、何故か躊躇われた。ああゆう疑惑は、感じた瞬間に言わないと言い辛くなってしまう。
一度タイミングを逃せば、次回、口にするに相応しい雰囲気の訪れを待たなくてはならない。
それが嫌ならばその場の雰囲気など意に関せず口にすべきだが、この時、光琉は大人しく口を閉ざし、少女の背を見送った。
あの微笑を見た直後では、うだうだと質問を続ける気には何故かならなかったのだ。
自分の引き際の良さに意外を禁じえなかったのだが、表面では苦笑したに留め、それ以上は自分の「らしくなさ」に驚いているのを表層面に表さなかった。
少女の行動を真似て背を向ける光琉の心境は言葉で表現するのは難しいものだった。
例えれば、曰く、言い難い。
幼馴染の一人が“魔”にさらわれた直後という状況を考えれば、如何なる“魔”であれ“魔”は全て敵、と解釈しても不自然ではない。
自らの置かれている状況を顧みて、にも関わらず“共鳴”を感じる“魔”の少女に敵意も悪意も持てない自分の心がおかしな具合だった。
何よりも、ハルファスとは完全に異なる少女の雰囲気。特に一瞬垣間見た微かでありながら清々しいまでの微笑が好感の琴線を爪弾いている。
それらひっくるめて、彼の内心を一言で訳するなら、言い難い、であった。
数十歩を歩いて、お互いの姿が小さくなりかけた時、不意に声が光琉の背に飛んだ。
「ああ、そうだ。一つ忘れていた。
私にとってそれほど重要ではないが、お前達の思考の天秤を片方に傾けるには充分な事が残っていた」
今度は向こうからの呼びかけに足を止めた光琉。
僅かに首を傾げてみせる彼の仕草を見ながら、少女はあくまで冷淡な口調で無視できない内容の台詞を語った。
「その娘、ハルファスの術によって眠らされているのだろう。
ならば、なおの事、私の親切を受け入れるべきだ。
“魔”にかけられた術は、本人でしか解けない。
お前らが、その娘の身を本気で案じるのであれば、私の手を取るのが最善だと思うぞ。
・・・それに、あまり悠長にはしていられないのを覚えておくと良い。
狂犬じみたハルファスが若い女をさらい、賓客として丁重に遇すると思うか?
奴にしてみれば、取引の為の商品であるに過ぎない。要は、生きていればいいだけの事。
多少傷物になろうと、価値が無くなる訳でもないのだ。
知りたい事を聞きだせれば、後は如何様に扱っても構わない、そう考えているとしても、不思議ではあるまい」
静かに降りていた闇夜に乗って届いた声は、禍々しい黒い風を従えた毒虫のようであった。
風と共に胸中に入り込み、精神の内壁に腐食性の強い毒液を吐き付けたのだ。
胸糞悪くなるような気分に蝕まれていく。精神の城壁は強力な腐食性の毒素に近い一言にはまるで効果なく、素面に猛毒を直接浴びせかけられてしまった。
全身の肌の上を悪寒のざらついた手が撫で回していく。異様な怪物に愛撫されていくような感覚が波紋となって広がり、光琉は思わず眉を顰めた。
確かに、考えられない事ではない。
人質は生きていてこそ価値があるので、殺すような真似はしないだろうが、極論すれば、ただ生きていればそれでいいのだ。
死なない程度ならば、どのように扱っても構わない、と、考えたとしても何ら不思議でもなんでも無い。
これが、仮に、ハルファスに捕まっているのが小矢ではなく、別の誰か・・・
例えば、綾子のようなクラスメイトの一人であれば、光琉はそれほど心を揺さぶられるような事はならなかっただろう。
小矢が捕まっていると言う事実が少女からの言葉を重くさせ、光琉の両肩に圧し掛からせたのだった。
何かを考えようと思考回路は動くのだが、一体何を考えれば良いものかも解らずに、ただただ光琉の精神の焦燥を募らせるばかりであった。
喉の奥から競りあがってくる吐き気を堪えるように唇を噛み締める。
何事かを言おうとして少女の方へ視線を転じた時には、着物姿は街灯の下に既にいなかった。
更に視線を横に転じれば、顔一杯に不安を満たす季夕の青白くなった表情が目に入った。
光琉は小矢の事だけを心配していればいいが、季夕は小矢と綾子の身と、二倍に心配しなくてはならないのだ。
少女の言っていた事・・・“魔”の術は、術をかけた本人にしか解けないと言うのが真実だとすれば、綾子は永遠に眠ったままとなる。
それを鵜呑みにするわけにもいかないだろう。少女がこちらの心理を誘導しようという思惑があるかもしれない。
が、虚言を吹き込む可能性は少ないように考えられた。
どちらにせよ、まずは綾子の家まで行って、家族に引き渡すのが先決であった。
目覚めるにせよ、目覚めないにせよ、このまま放置しておく訳にも、光琉か季夕の家に連れて行く訳にもいかないのだから。
だが、そこまで考えて、はて、と首を傾げた。光琉自身の家・・・つまりは、此花家になるわけだが、そこに連れて行くのはできないとしても、季夕の家ならばどうであろうか。
元々、綾子と季夕はそれなりに親しい間柄である。友人の家に泊まりに行くのも全く自然な事だ。
綾子が本当に目覚めないとすれば、このまま彼女の自宅まで送るより、
季夕の家に連れて行き、数日こちらに泊まらせると綾子の家族に連絡を入れた方が良いのではないか。
その方が、綾子の家族にも余計な心配をかけずに済みそうだ・・・
そこまで考えて、光琉は首を横に振り動かした。
どうも無理そうだ。数日中に何とかなって、ハルファスに綾子にかけた術を解かせる事が出来れば良いが、残念ながら、その可能性は低いと言わざるをえない。
数日中に片付かなかった場合、どうするのだ、と、自分に問いただす。